活字に対する想像力の暴走
現代人の活字に対する想像力が異常に暴走し始めた。
活字離れが叫ばれて久しいが実態はむしろその逆で、
現代人は異常に活字に依存している。
メールやチャット、ブログ、掲示板・・・・
今までと決定的に違うのは
活字がコミュニケーションの手段になったこと。
今までは活字と言えば、新聞や雑誌など紙媒体が中心で、
活字を読むということはその言葉の意味を解くということであった。
しかし、今や言葉の意味性は薄れ、
言葉の裏側にある感情を読み解くことへ大きくシフトしている。
そこには大きな問題がある。
メールやチャット、ブログ、掲示板にも
もちろん文脈というのもがあり、
その文脈に基づいてひとつひとつの言葉が挿入されていくわけだが、
その文脈のすべてが活字として表に現れるとは限らない。
表に現れなかった文脈は
当然それぞれの人の想像力によって補われることになるのだが、
その想像力のすれ違いが
時に思いも寄らぬ出来事を引き起こすのだ。
例えば、Aという人物が最初に書き込みをしたあとに、
Bという人物が、Aという人物の書き込みとは全く関連性のない
書き込みをしたとき。
実はそこには、
Bという人物はAという人物の書き込みを読み、
何らかのことを思った上で、
「話が変わって」、
Aという人物の書き込みとは全く関連性のない書き込みをした、
という「文脈」が存在する。
しかし、そういった「文脈」は表には現れてはいないため、
Aという人物はBという人物に
「無視された」と感じるかもしれないのである。
言葉がその文脈から引き離され、独立し始めたとき、
その言葉は言葉としての体をなさなくなり、
その感情だけが増幅を始め、暴走する。
すべては個人的な想像の中で起きることである。

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